お天気佳く生気に満ちた文化の日に年々歳々幼な子達のご成長を祈り伊文神社へ

菊薫る11月!待ちに待つた七五三シーズンとはなりました。
今日は絶好のお天気で、店でも七五三お参りのお客様も
あり、じつとして、いられ無くなり毎年の事ですが
郷社伊文神社へお参りに出かけました。





未だ七五三の奔りの様な佇まいは、ありましたが
次から次と三三、五五ご参詣のファミリーで賑わいの
佳き景観と成り、お成長を祈りスナツプさせて、
戴きました。毎年の事ですが、家族愛の権化が神前で
昇華いたし、誠に頬ましき風景です、
思わず眼前に、お子様のご祈願する私の頭が下がります。
誠に麗しき日本の風景です。日本に生まれて、佳かれと
存ずるは、あに汝一人に在らざる、べけんや、



「今年七五三の慶事を迎えられたファミリーの
麗しく祝福するお写真は、ご諒承の上
掲示させて頂いております。」


「この唐獅子と寄進の石碑は帰りに、たまたま見かけた
物ですが、一対、の唐獅子(狛犬コマイヌ)は大黒屋(米穀商)本家の茂三郎
大祖父さん、寄進の石碑の岩崎明三郎は神社信徒総代を
永年勤めた大叔父さん(私の母岩崎とき、の兄)で・・・
(唐獅子の奉献は昭和6年、石碑は昭和14年、世には
”紀元は2600年ああ天上の雲蒼し”と詠われた一年前
あの有名なゼロ戦が制定され、大日本帝国が一番油の
乗っていた頃です、然しながらソ満国境ノモンハンでは
流石の皇軍も一個師団に近い兵員の犠牲を出し敗退した
年です、私の親父は、このソ聯との停戦交渉の秋に、
私が岡商3年生の時に、42歳で病床にて苦しい息の中で
"天皇陛下万歳”だ、と申して息を引き取ったのでありました)
私は田口航空で月100円の給料を貰っていました、

こんな時代もあったモンかと、今更ながら驚愕致しました。」

私も、もう九十歳で余命幾許ともとは、なりますので、
恥ずかし乍ら縷々私事を書きなぐり、メモりました。悪しからず。

        平成26年11月3日(文化の日
              
                岩崎 好夫   録