終戦記念日によせて武運長久の日の丸旗の寄書がGoogleにアップされ全国発信に驚く!

二三日前たまたま、ここらへん情報(西尾文化新聞NISHIO)
の弊店のブログの巻末に終戦記念日特集WEBがあり、
一覧しましたら当所発の先に発信したブログから転載した
写真があり、びつくり仰天

何の話もないので本日これを転載し、ご紹介いたしました。


[万感!感涙の極みにて奉じ、たてまつりし終戦の大詔]


陛下の玉音放送は昭和二十年八月十五日正午快晴の九部隊の
大練兵場の一角で民間のラジオにて聞かされました。
陛下が出る位なら徹底抗戦の叱咤激励だろうと誰しも
思ったと事と感じましたが、意外や以外シーンと静まりかえり
意表をつかれた様な雰囲気、大方気を突かれた様になり
陛下の甲高い音声が、宙を木魂するばかり皆、言葉もなく沈黙・・・
ただ私は、これは駄目だ、「万世の為に太平を開かんと欲す」で
陛下の御心で。時代は変わると感じました。
以後軍事行動はオミットとなりました。
翌日兵営にも朝刊新聞が来たりして、皆納得しました。
古参兵が、しんみりと、この戦争はするべきでなかっと
言ったのを未だに思い出します。

外地の惨場はいざ知らず私ながら夢のようだ
これで帰郷は出来ると思いました。

まったく全国版で天皇陛下と同列の写真で、畏くも
恐懼の極みと存知奉りますが、当地在郷軍人分会長、叔父の
岩崎明三郎後に、新城方面防衛軍連隊長始、当時勤務中
の田口航空の幹部の面々の錚々足るかたがたに揮毫を
戴きました、ここに出されても気魄の篭った立派なもので
これを以って特別攻撃隊ならずとも御国の為に散華せずには
敗戦の憂き目を見て今日も、のうのうとしておるは
齢九十二にして懺悔に耐えないものであります。