今は昔・・・西尾銀座・井桁屋界隈の金字塔

今回斉藤吾朗画伯が松鶴園のギヤラリー美空間「松遊」にて
個展を開催されました。 平成22年8月6日〜16日まで。

(注目を集めたのは黄色のポストの縁で宮城県大崎市
伊藤康志市長が初日の6日に来場し交歓があった絵もありました)


その代表作として案内デスプレイを飾る名作「西尾銀座のころ」
の展示公開あり得がたい作品で江湖に多大の感銘を与えました。
忠実に七・八十年前の状況が再現してあり往時の写真があったと
してもそれ以上に吾朗さんの思いが画面に横溢し見るものをして
感嘆の声を上げざるを得ません。
私も井桁屋建設同時代に生きた人間で現在それが保存されて
ないのは痛恨の極み、市にもまたまた地元にとつても時代の
生き証人の建造物を失い云う言葉もありませんが、今は
回顧の思いのみでこのブログを綴っております

井桁屋の誕生は昭和初頭私が物心付いた頃です、
ここに表示した絵は
]
   (1.2才頃の幻影で描いています写真は私の面影です)

たまたま今は無き大黒屋本店の二階で祖母とともに寝起きして
おりおぼろげながら見た建造中で2・3才の頃でしょうが
コンクリ流しの鉄柱で朝から晩までガラガラドンドンで
イゲタやチンドンと囃したことは記憶にあります。
何として三河三都の一つで鉄筋の本格的のデバート風の
建物は近在には無かったと思います


(井桁屋隣三河呉服店前辺りで向かうの建物は肴町角
長谷川時計・レコード店手前右側は杉浦履物店です)

時代は変わり平成に入り取り壊し
の話が出まして保存運動で幾多の文化人有識者が努力され
ましたが、これは吉見邸における存続協議会の記録写真です

(この部屋の机上に置いて吾朗さんの解説中の絵は
井桁屋屋上からの朝まだき西尾市内の俯瞰風景です)

誠に残念ながら数年前にとり壊され、寂しく井桁屋公園がひっそり
佇でおります。