痛恨・・・本家の解体


(下の写真は昭和8年本町改修後新築なった大黒屋米店のモダンな店舗)

 
遂に来るものが来た、目下、噂もここへ来て現実化し本町54番地
の建て面積200坪近くの昭和8年築造の木造ファーザード
3階建て本町拡幅改修に合わせて大黒屋米穀店の岩崎明三郎氏
(私の母親の実の兄)が手塩に斯けた当時としては斬新な
建造物が見るも無残に今半分は解体されつつあります。

(上の写真は大黒屋米店の上棟式の記念撮影
真ん中の柱の向かつて左側の7才位の子供が私です)


 時勢と言うも愚かなり見れば哀しいばかりが先に立ちます。
私は4・5歳の頃3年間はここで寝起きし第2の実家であります。
現地は見るに忍びなく、その先他人に渡るのは時間の問題です。
本町の永井信行さんも、先日のブログでまちに関わっていて
なんとかして揚げられなかったは残念至極との記事がありました。

実際建物は利用価値、利用者で生きるものでしょうが
何にしても大きな商家で本業のパン店を平成7・8年頃他町に
移転せられてからは利用となると道路沿いの2・3室を使うのが
精一杯、私も10数年前の発展会長の時代、はと屋鳥山欽示氏の
肝いりで青年会議所、商工会議所を動員せられ「ほんちゃん工房」を
立ち上げられ、私なりに発展会の役員と写真展を行いポスター
も製作、利用に尽力しましたが維持費や補修の問題で長くは
続かなかつた。


ほんちゃん工房開所式のテープカット

祭礼日のほんちゃん工房前

賑わった写真展


 中村晃毅市長の時代市長は商工会議所の岩崎会頭と共に
現地に赴き骨を折られたがなんにしても○○工面の問題、
耐震補強、利用価値等で簡単ではなかった様です、
 要は外観だけでそれに伴う実質内容が伴は無くんばば如何とも
し難いのです。地主は持て余さざるを得なくなったわけです、
ここ3月いっぱい位で更地になる様です。


ご当主の岩崎茂郎さんから貴重な建造物を写真だけでも後世に
残したいと依頼があり先日額に入れて持参しました。
若し私がこうゆう立場なら写真どころか店舗と心中したい
位だがそこは茂郎さん先代からの余徳のお陰、他町の立地は残念
ながら商売熱心、立派に営業してみえます。写真持参の折記念
の撮影をお願いしましたが、さて茂郎さん万感胸に迫りてか
本町、生家への回顧の情沸沸と、私も泣けんばかりとなりました。
やはり血を分けたものでなくんば解らない事ばかりと
痛感致しました。
折角でしたので今までの経緯の記事、お写真のブログ掲載
を快く承諾下さいましたので記録しました。

最後に本町を去る茂郎さん余り多くは語られませんが
ただ親父が健在ならば、この術は在りべけんや
仕方ないが、これしか行く道ない様に言ってみえました、
解体工事は見るに忍びないとも言ってみえました、
どうか心中を察してあげて下さい。