戦後70年悲惨さ語り継ぐ遺品、写真展を西尾市役所で見て感慨を新たに致しました


早や敗戦70年真夏の太陽の下昭和20年8月15日正午、
三島第9部隊の練兵場で畏慄して天皇陛下玉音放送
聴きましたが私は、
「万世の為に太平を開かんと欲す」で、戦争は
終わりだと思ったが、空気は天皇陛下が出る位だから
抵抗線の激励のだろう位の様であった、
然し以後軍事行為は中止になった
負けたなんと言えば猛ビンタお嵐だ、ただ下士官あたりが、
ヒソヒソ負けたとの思惑の様だったと記憶します。
明朝新聞で豪い事になったと皆思ったようだが、古参の班長が、
シンミリと、「此の戦争はするモンではなかった」と言ったのを
今だに、ありありと思い出します、私は命は救われた、之で
家へ帰れるの思いが強かったです。






まったく、軍隊は運体、遠き異国の果てに凄い辛酸の末
肉親を思い萬斛の思いで果てられた方を思えば、私如き
万死に値する、ただ生かされているが、のみと思いますが
どう衝もありません、私は91歳親父の様に病床で
天皇陛下万歳!といって、あの世行きとはなりませんが、
よく此処まで生かしてもらってと、感謝して黄泉の果てに、
旅発ちたい。

鎮魂の誠を込めて二・三日前の奥深い天然現象の極みです